金沢家庭裁判所 昭和46年(少)732号 決定 1971年8月12日
少年 H・B(昭三〇・八・一九生)
主文
少年を医療少年院に送致する。
理由
第一非行事実
一 第五九九、六〇一号事件
少年は、聾唖者であり、これまで聾学校あるいは聾唖児施設への収容を保護者が拒否するところから、未就学のまま家庭的にも放任されて現在に至つているものであるが、昭和四五年春頃より窃盗、弄火、ガソリン吸入遊び、無免許運転ならびに運転中の転倒事故を繰り返すようになり、昭和四六年六月一四日無免許運転中、警察官に補導を受け、保護者への連絡がとれないまま七尾児童相談所において一時保護が開始されたところ、同年六月一六日午後六時一五分頃、同所遊戯室窓より無断外出し、七尾市内、鹿島郡○○○町、鳳至郡○○町などを窃取した自転車、バイク、自動車で乗り継いで逃走中、○○町○○地内で道路側溝へ転倒し、附近民に発見されて○○署に保護されたもので、このまま放置した場合、少年の身心の状況、その性格ならびに環境に照し、将来罪を犯しあるいは刑罰法令に触れる行為をする虞があるものである。
二 第六〇三号事件
少年は、
(1) 昭和四六年六月一六日午後一〇時頃から、同月一七日午前三時頃までの間に、石川県鳳至郡○○町字○○○×の××の×番地○林自動車修理工場内に置いてあつた七台の自動車の中から、同所○林○三所有の自動車鍵七個(時価四、二〇〇円相当)を窃取し、
(2) 同月一六日午後一一時頃から同月一七日午前七時三〇分頃までの間に、同町○○×の×番地○産自動車販売株式会社○○営業所(所長○田○一)の中古車展示場に置いてあつた、同人所有の普通乗用車一台(時価四五万円相当)を窃取し、
(3) 同時刻頃、同町○○○×の×番地○隅○治方車庫内にあつた普通貨物自動車前後部に取付けてあつた同人所有の自動車登録番号標「石○や○○○○」二枚(時価三、〇〇〇円相当)を窃取し、
(4) 同月一七日午前七時三〇分頃、公安委員会の自動車運転免許を受けないで同町○○×の×番地から同町○○地内まで約一二キロメートルの間、普通乗用車を運転し、
(5) その際、自動車登録を受けた車輛でなければ運行の用に供してはならないのにかかわらず、登録を受けていない前記車輛を運行した
ものである。
三 第六六六号事件
少年は、
(1) 昭和四六年五月一四日午後一一時頃、輪島市○○町○○×××番地○木工場敷地内においてあつた○本○昭所有の軽四輪乗用自動車マツダキャロル一台(時価一〇、〇〇〇円相当)を窃取し、
(2) 昭和四六年六月七日午前一時三〇分頃、同町○○○○○○○の×番地○内○春方玄関前においてあつた○中○雄所有の第一種原動機付自転車ホンダカブ号一台(時価一〇、〇〇〇円相当)を窃取し、
(3) 同月一二日午前二時頃、同市○○町○○×○××○番地○井○三所有の軽四輪貨物自動車一台(時価一〇万円相当)を窃取し、
(4) 同時刻頃、同市○○町○○××字××番地○中○一所有の第一種原動機付自転車ヤマハ五〇cc一台(時価二万円相当)を窃取し、
(5) 同時刻頃、同市○○町○○××字××番地○き○子方寝室から、同人所有の携帯用テレビ一台(時価一万円相当)を窃取し、
(6) 同月一三日午前四時頃、同市○○町○○×部××番地○村○男所有の第一種原動機付自転車スズキ五〇cc一台(時価二万円相当)を窃取し、
(7) 同時刻頃、同市○○町○○×部×××番地○谷○方の納屋から、同人所有の第一種原動機付自転車スズキ五〇cc一台(時価二万円相当)を窃取し、
たものである。
なお、本件送致事実中には、同年四月二三日の○本○昭所有原動機付自転車ホンダ五〇cc一台の窃盗、同年六月五日の○木○治所有農業用消毒器一個の窃盗、同年六月七日の○口○義所有原動機付自転車スズキ五〇cc一台の窃盗の各事実もあるが、これらの事実については、いずれも窃取された被害事実については明白であるけれども、それが本件少年の行為によるものであると認めうる証拠はなく、結局非行事実を認定することはできない。
四 第六六七号事件
少年は、
(1) 昭和四六年五月一二日午後一〇時頃、珠洲市○○町○○海岸通称○○の砂場に引きあげてあつた、同市○○町×字××番地○崎○一所有の漁船○宝丸後尾に取付てあつた三菱船外機一台(時価三万円相当)を窃取し、
(2) 同月二四日午後一一時頃、同市○○町珠洲市農業協同組合○○支所ガソリンスタンド裏にある○吉○方製材所内に駐車中の軽四輪貨物自動車(六石す四七三三号)一台(時価一五万円相当)を窃取したものである。
なお、本件送致事実中には、同年五月一四日の○田○男所有ヤマハ船外機一台、同年五月二四日の○高○五○所有原動機付自転車一台の各窃盗の事実も含まれているが、これらの事実については、窃盗の事実と少年との結びつきを明らかにする証拠がなく、その非行事実を認定することができない。
五 第七三二号事件
少年は試験観察中、補導委託先の養護施設梅光会に収容されていたが、昭和四六年七月一四日午前三時頃、同施設から逃走し、金沢市○町××番×号先路上において普通乗用車を無断走行させていたところを発見され、保護のうえ梅光会に引渡され、さらに翌一五日午後零時四〇分頃、登校した金沢市○町×の×石川県立聾学校からぬけ出し、金沢市○○町の自動車展示場から軽四輪乗用車を無断乗車して同月一六日まで逃走するなど、その保護的措置に適応せず、このまま放置すれば少年の身心状態、性格、環境に照し、将来罪を犯しあるいは刑罰法令に触れる行為をする虞のあるものである。
第二法令の適用
一の事実について 少年法三条一項三号。
二の(1)ないし(3)の事実について 刑法二三五条。
二の(4)の事実について 道路交通法六四条、一一八条一項一号。
二の(5)の事実について 道路運送車輛法四条、一〇八条一項。
三の事実について 刑法二三五条。
四の事実について 刑法二三五条。
五の事実について 少年法三条一項三号。
第三処遇理由
一 生育史
(1) 少年は、農業を営む父H・I、母H・Nの長男として生れ、同胞として妹H・M子(一四歳)がいるが、少年およびH・M子は、生来聴障害による聾唖者であつた。少年らの住居は、○○○地方の山村にあり、村落が点在するところで、住家一棟と崩れかかつた土蔵一棟がある。少年の父は、若い時から乱暴者として近隣からきらわれ、極端な自己中心的性格偏倚が著るしく、仕事もほとんど少年の母親まかせで、昼から飲酒し、車を持ち無免許運転の常習など前科がある。母親も、自己中心的で、夫に反抗するとなぐられたりするので表面的に従順で、夫の指示のまま一切をとりはこび、農業の仕事一切をする他、子の養育についても夫の目を盗むように可愛がるものの責任ある養育態度をもつことができず、仕事の多忙さもあつて、放任していた。
(2) 少年は、生来、鼓膜は正常であつたが、感音系障害(中枢性のものと思われる)のため、九〇デシベル以上でも聴取することができず、残存聴力はほとんどない。そのため声帯発達は正常であつても、言語発育は皆無の状態である。少年は、父母の自己中心的な態度と監護教育についての無理解から、学校教育(特に聾学校教育)を受ける機会を与えられず、また特段の家庭教育もなされないまま放任されたため、文字を理解することは全くできず、また手話法による基礎的日常会話すらも行なうことができず、自己の体験をわずかに絵によつて表現するのみの状態で、言語生活を全く知らないまま生育した。
(3) 少年の生活は、妹と二人で山や川に遊ぶ毎日で、また、時折母の単純な農作業の手伝もしていた。父親が少年を全く放任状態にあり、時折虐待の乱暴を受けることもあつて、祖父とともに他の家族から離れて崩れかけた土蔵に生活し、父親には極度の反発をもつようになつていた。昭和四五年八月祖父が死亡すると少年はそのまま単独で土蔵に居住をつづけた。
二 少年の非行性
(1) 少年は、以前から、野荒しや近隣からの食物の盗みを行なつていたようであるが、父親が農機具やバイクを所持するところから機械類に興味を示すようになり、ガソリンを水に薄めて吸引する習癖をもつようになるとともに、バイク、車の運転操作を見おぼえ、それを乗りまわすようになつた。そして、昭和四六年春頃から、バイクを盗み、住居地を離れて殊珠市、○○町等へ出て、動物的本能のままの恣意的行動に出るところとなつた。そのような生活の中で、少年は、前記第六六六、六六七号事件を敢行し、さらに昭和四六年六月一四日、バイクの無免許運転中○○警察署に補導され、石川県七尾児童相談所に一時保護を受けたものであるが、(前記第五九九、六〇一号事件)、同所より逃走し、さらに前記第六〇三号事件を反復敢行するに至つたものである。
(2) 少年の非行性は、放任と未就学の生育史から、一切の社会性や基本的躾を身につけていないこと、特に言語生活をもたないため、通常の子供であれば、たとえ未就学であつても社会生活の中から自ずと身につける最低限度の社会規範意識すら習得できないことに最大の問題がある。そして現在一定の身体および行動能力の発達から、自動車に対する関心と行動範囲の拡大により、少年の非社会性は一挙に社会規範に反する行動として社会的危険性をもつようになつた。一面、少年の自動車に対する関心には、聾唖者であるところからくるさまざまな欲求充足の不満足を、機械操作によつて行動支配を可能にする自動車運転に、そのはけ口を求めているものということができよう。
(3) 本件非行の根本には、聾児が未教育のまま放置された場合に、その非社会性がそのまま社会的危険性につながることにある。そのような危険性について、本来なら、父母が子に対する愛情から自ずと察知し、困難な中でも幾何かの社会的訓練が与えられるはずのものであつたが、少年の場合、その生育史の環境は劣悪なものであり、少年をかかる状態においた親の無責任は厳しく指摘されなければならない。また、関係教育福祉機関においても、少年を未就学聾児の存在としていち早くとらえ、再三にわたる就学勧告をなし、県内教育関係者の間では一つの問題ケースとして扱われてきたものの、結局、その社会的危険性についての認識までには至らず、また少年の教育を受け、社会人として生育する基本権の保障の観点も不明確であつたためか、無理解な親に任意に就学を勧告するに止め、親の態度が変わらない以上やむをえないものとして放置されたきらいがあつた。しかし、少年は、その結果、現在のような社会的に危険な存在として放置された。少年の将来を考えてみた場合、その身体の発達が成人の域に達したとき、その危険性は粗暴化の傾向を強め、父親が少年に対してこれまで虐特を含めた抑圧的態度をとつてきたことからも家庭内における尊属に対する危害が懸念され、また性的欲求を伴つた場合、近隣の婦女子に対する危険性は当然に予想しうるところである。
三 事件係属後の保護的措置
(1) 以上のような少年の非行性を考えた場合、少年が未教育のまま放置されるときには、少年は、終生、社会から隔離された生活を余儀なくされることは想像に難くない。一方少年の身心の発達からして、その教育可能な期間は既に多く無為に過されてきた。現在の段階でも完全な言語教育には不可能な年齢にあり、残された教育可能期間に最低限度の言語能力と社会性、自らの生活を維持する職業能力の附与を図ることが緊急の課題となつている。このことは、単に社会防衛の見地から要求されるばかりではなく聾児に対する生存権を保障する国あるいは社会の責務というべきであつて、本件についての処遇もこの観点に立つて考えなければならない。
(2) 少年は、当庁に事件係属後、逃走の危険性を考慮して観護措置を受けたが、その間、今後の少年の教育的措置について関係機関の協力を求めるべく検討が重ねられた。
当初、県教育委員会、県立聾学校、県中央児童相談所等、関係教育福祉機関においても、少年の教育および身上監護の困難さから、かかる処遇方針に依ることについては必ずしも積極的ではなかつたが、他に適切な施設が皆無であることもあつて、当庁との再三にわたる協議の結果、関係機関が相協力して少年の教育可能性を追求すべきであるとの意見の一致をみた。その処遇方針は、県立聾学校において少年の言語教育を中心とした役割を担当し、中央児童相談所において、その管下の養護施設梅光会に入居させて生活指導を中心に身上監護をゆだねるというものである。その結果、昭和四六年七月一三日、審判のうえ(保護者父H・Iは同行状の執行を受けて審判に出席した。)、試験観察決定がなされ、身柄を中央児童相談所長菊知順二郎に補導委託された。同所においては、即日少年を梅光会に入居させ、同施設の保母籠田相子が身辺の監護に当るところとなつた。また県立聾学校においても、少年の入校にあたり、特殊学級に編入せしめ、竹田教諭が少年を含め四名のクラスを担当することにし、同校のスクールバスで梅光会からの通学を行なわせるなど、その監護には十分意が用いられた。
(3) しかしながら、少年は同月一四日午前三時頃、梅光会より逃走し、自動車を無断運転して保護され、同日梅光会に引渡された。そして同日は聾学校に登校し、平静に授業を受けて帰宅、梅光会の他の児童とも親しんでいたが、翌一五日正午頃、再度登校した聾学校より逃走し、再び自動車を運転して行方不明となつた(前記第七三二号事件)。関係者が各所を探索し、さらに緊急同行状を発して金沢中警察署に手配方を協力援助依頼の措置をとつた結果、同月一六日午後三時頃偶々探索に出た調査官に発見され、前記虞犯事件係属とともに再度観護措置をとることとなつた。結局、少年は、短期日のうちに前述の保護的措置に適応することができず、在宅の教育的処遇の試みは一時断念せざるをえなかつた。
四 総括
(1) 前記保護的措置の失敗の原因としては、山村における自然の中でほしいままに生活をしていた少年にとつて、一定の観護期間があつたとはいえ、急激すぎる環境の変化であつたこと、また、その環境の変化が何のために行なわれたものであるかを少年自身に理解せしめるべき手段、言語によるコミュニケーションを欠いていたことが直接の問題として考えられるが、より根本的には、少年を社会生活に適応せしめるための訓練と、逃走した場合に自動車運転の習癖による無免許運転の危険性、人身事故の防止のための身上監護が相両立しがたいところにある。即ち、本来非社会的児童を言語に依らずして一定の規範(逃走しないこと、自動車を運転しないこと)を習得せしめるためには、解放的場においたままの行動訓練を通じ、失敗を繰返しながら環境に順応せしめつつ習得せしめるものでなければ教育的機能は果しえないということと、少年の非行性は、人身事故の危険性を考慮した場合、解放的処遇によりえない段階にあることとの対立にある。
(2) この逃走の危険性を防止するために、妹H・M子との共同生活によつて情緒の安定を図ることも試みられたが、少年は、H・M子に対しては反発するのみで成功せず、また保護者の協力も得られない以上、少年の心的規制による逃走防止は困難である。そして、適切な聾児教育施設の確立されていない現状においては、在宅による教育処遇は不可能といわなければならない。
(3) 非開放施設(当面、少年院への収容)での処遇には、それが強制的に拘束すること自体において、かかる少年の社会的訓練としては必ずしも適切とはいえない。また、特殊教育(とくに聾教育)を専門とする非開放施設(少年院あるいは教養院)も存在しない。しかし少年自身は、その身体的欠陥と環境の犠牲者ともいえる。必ずしも十分な条件のない施設においても前記三、(1)に述べた教育的処遇の方針は維持されるべきであろう。数々の困難は伴うにしても、少年に個別的な接触を通じ、その言語能力の開発と社会性の涵養、そして職業指導を含め、今後の執行機関の努力に期待しなければならない。かかる個別的な処遇を可能とするところとして、医療少年院への収容が相当である。
第四まとめ
以上の諸点を考慮して、当裁判所は、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 大内捷司)
昭和四十六年六月二十九日
金沢少年鑑別所
鑑別課長金山日出夫
金沢家庭裁判所
当田修久調査官殿
行動観察票の送付について
H・Bの行動観察票を別添のとおり送付いたします。
NO.46~51氏名H・B行動観察票
検印 月日 記事
6/18薄汚れた服装(白ワイシャツ、黒ズボン)で入所したがさして悪びれた様子もなくニヤニヤと微笑している。聾唖者のため手真似で更衣その他を指示する。猿又の履き替えに際しては職員に恥かしいからと背を向けて着替えする。比較的素直な容貌で職員の手真似に従つている。
手箱に付いていた針金(四センチ程)を取り出し、耳のそうじをしていた、注意すると素直に針金を手わたしてくれた。
6/19字を書かせる。ひらがなで書順不同。読めぬ様子、手まねと絵で話す。病気なし、食事よいという。父母と三人兄弟の末子。家は農業でタバコ葉、米を作つている。小学五年まで就学。父は自動車運転が出来るというのか。盆栽が家にたくさんあるというのか警察で窃取したといわれたのか真顔でいつているがわからない。広告のマンガを見て声を出して笑う。
魚を釣つたり、わらび、ぜんまいを取つた話をして案外明朗。
6/19日記帳に何か書くよう指示すると、三〇分程かかつて煙草乾燥場とトラクターの絵を書いた。
こちらへ日記帳を手渡す時、照れくさいのか声を出した。
6/20テレビ時のバレーは関心を示さず早々に居室に引込む。
6/21書棚の前で本を選ばすと海の写真を見つけてうれしそうに、自分は高くから飛び込んで泳げることを手まねで話す。交通法規の本を見せると、標識を指さし、ハンドルを回す身ぶりをしめしうれしそう。
6/21面接、緊張がほぐれて表情が生き生きして来た。進んでいろいろ意思表示をする。父母によく叱られた、良い子になれというと、照れてうなずく。釣りのはなしをする。母は織物工。遊んでばかりいたのかというと働いたといつて鎌で切つた傷痕を示す。耕運機の操作をはなす。
手ぶりの話し方の方法を多少知つている。
6/22便所蓋の支えの針金をはずしてしまつている。手真似で注意すると、蓋を開けた際にこわれたと説明する。仲々要領のよい点も伺える。
6/22除草早くて懸命だが、いたつて雑である。隣接の盲学校を示すと大笑い。花の匂いを嗅ぐと女のようだと笑う。指示をはつきりさせると素直である。未だ他少年となじもうとしない。キャッチボールをさせようとすると自動車運転中転落右肩をいためたという。
とかげをいじめると天罰があたると真剣である。
6/22午後七時三〇分頃ものを叩く音がするので行つてみるとビニール簾をとり寝衣の紐をまいて鍵の取手を開けようとしている。注意するとうす笑い、その後午前二時前頃矢張りピシピシ音がするので行くとビニールに紐をまいているのを発見したらあわてて布団をかぶり寝込む。
6/23朝ビニールを出せというと拒否、スキを見て折り窓外とちりかごに捨てる。強く提出せよというとしぶしぶ出す。そしてうで組をし足を出して居直る。その後食事を早くしろという。寝衣の紐も取り上げる、それほど重大な事とは思つていない風の所もある。
6/22家へ面会に来てくれと便りして欲しいという。簡単な口の動かし方で意味を知るかもしれない。
6/24図書は漫画を愛読しているが文字が判らないので専ら絵を判断して見ているようだが一枚一頁を丁寧に見るのでなく乱読するので速く見て了い、終ると扉を叩き余りに頻繁に取替えを願うので、丁寧に観るように手真似で教えるやニヤニヤ笑いながらも不服そうである。
6/25朝の掃除の時、廊下の掃除の要領を教えると素直に動いていた。
6/26なにかと要求が多くなり、こちらからの指示には一つ一つ文句をつけてみる。強く指示すると素直にやる。雑談をしていると楽しいらしく、父の悪口をよくいう。自動車のこと、家のこと、米、タバコの作り方などたのしそうにいう。山村生活のことなどもいう。筆談が出来ぬので絵でする時は独特の書き方で要領よくまとめる。
6/26図書よりも粘土工作をさせと要求する。午後漫画を書きたいという。与ると家の構造を丹精にくまなく書き出す。
6/26気の配り方、使い方に底知能とは思えぬサエをみせる。
6/26自動車の無暴運転をそうとうやつたらしい。その様子をくわしくはなす。
6/27日曜で退屈なのか、よくはなしかける。相手になればきりがない。だがうれしそう。
6/28家にTelして母に来るように言つてくれと注文する。先日、母からTelがあつて忙がしくて来れないそうだと時間をかけて話すと納得した。
チリ紙整理をさせると、ニコニコとしてやつていた。卓球も職員が一対一で相手になつてやると、大喜びで動いていた。
6/28チリ紙を一〇枚一組に折りたたむ作業をさせる。紙に○を一〇個書並べて紙の枚数を覚えさせると○と紙を見ながら折りたたんでいた。
7/2職員に話しかけたくて、相手になつて欲しくて仕方がない。今日は他生徒と少しピンポンをした。しばらく画ではなしてやると気分が発散して帰るが、又同じ。こちらの都合を考えずに要求してくる。可愛が面倒である。もつと我儘が出ると予想したが、それほどでもない。
7/3居室に居ても退屈らしく時折り奇声を発したり扉を叩いて職員を呼び話し相手になるように要求したが、少年の要求の儘に室外に出すことは却つて我儘を助長することにもなり、現在いささか、その傾向もあるやに思料されたのでその非を戒めて静粛にするよう指示したところその後は静かに過ごし夜間も熟睡していた。
7/5手真似で自動車で家へ帰せと頻りと要求し、駄目である旨手真似で示すと顔を青くして怒つたような手真似をする。一日も速く何分の処分を望んでやまない。
退屈と不満のため室内で不貞腐つて横臥していたので話すと苦虫を噛みつぶしたような表情で起き上つて座る。
7/6汗でくさくなつた衣類をいつまでもそのまま着ており注意しても洗濯しないので、こちらから無理に着がえさせ洗濯機で洗濯させる。ニコニコと自分の家にもあるなどと手真似する。指示に素直に従つて洗濯を終えた。
7/7旬日来いささか退屈さと自宅に帰りたいため精神的に安定さを欠いていたようだつたが、本日調査官や調査関係者が来て面接調査を行なつた後は明朗さを取戻したようで職員に対しても笑顔で応待している。
7/8朝の清掃も自発的に廊下を雑巾で拭いており、頭部を撫でて褒めてやるとニコニコと喜んでいる。
7/8マイペースで生活、先生家へ遊びにこいという。少年の話題は依然として車、父母と狭い我が家のはなしだけ。審判を指折り数えている。
7/9審判日時を告示するに当り繰り返えして手真似で説明したがその都度頭を左右に振つて判断出来ない旨の表示をするも引続き後刻時を稼いで告知を覚知させるつもりです。
テレビ―視聴中絵と手真似で審判日を告知したところ初めは判らなかつたが次第に理解するようになり漸く列車で行き母も出席することが判つた模様である。
7/10生活にすつかり馴れ横着な行動が目立つ、卓球は愉快そうにやつている。テレビを視てよく笑つている。
調査報告書
金沢家庭裁判所
裁判官大内捷司殿
昭和46年6月28日
同庁
家庭裁判所調査官当田修久
昭和46年少第599号少年M・B
上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。
日時昭和46年6月21日陳述者H・I
少年との関係実父職業農業
場所少年宅において住居輪島市○○町○○○部○○
陳述の要旨<1>私は6月18日に貴庁で、金沢少年鑑別所に入所させられたというH・Bの実父H・Iです。只今、その鑑別所に入所する際に金沢家裁でうつした写真をみせてもらいましたがその写真の人物は、まちがいなく私の子供H・Bです。別紙のように私は確認したということを示すために確認書を作成、それに私の住所、氏名を記入して印を押し、その上確認書にはりつけてある写真に割印を押して提出いたします。
<2>H・Bのことについては、私としても困つております。小さい間は毎日遊んで暮しておりましたが、昨年あたりから家の手つだいやら、農業などを手つだつてくれるようになり喜こんでいたのですが、バイクや車に興味を持つようになり、人様のものに手をかけたりするようになり、好き勝手に乗りまわしたりしておりました。H・Bは昨年死んだ祖父と一緒に生活していたので、私はどのようにして育つてきたかよくわからないのですが、今年の1月より祖父死亡後住んでいた私の家の2階から、祖父と一緒に生活していた私の家から50m位はなれた土蔵の中で年活するようになり、そのために夜になると何をしていたのか全くわかりませんでした。それでも2年位前から、ガンリンを水でうすめてそのにおいをかいでいたりするので、はじめは大人のタバコと同じものであると思つて気にもとめていなかつたのですが、身体にわるいと聞いて注意したり、今度のことで、夜になると外へ出ていくというので、一度強く叱りつけて、土蔵に鍵をかけたりして自分としてはよく監督していました。私はあの子についてろうあ者でもあるし、農業の跡をつがせるつもりで、百姓に学問はいらないし、また私がいろいろな教育をするつもりで、今までいろんな勧告があつたのですが、どこの学校にも入れず私が、教育をしてまいりました。
<3>今度のことで、私が叱りつけたために、家をとび出したH・Bを能登署で捕まえ私に何の相談もなしに勝手に七尾児相へつれて行き、そこに泊め、今度はそこから逃がして再び同じようなことさせてしまつたのです。そして、金沢の家庭裁判所へつれていつたとのことですが、私としては非常に不満です。能登署の人や七尾児相の勝手なやり口に腹が立つてしかたがありません。
<4>そこで今後のことですが、勝手につれていつたのですから、勝手に処分して欲しいと思います。それで審判にも出席するつもりはありません。私としては、家につれてかえつて今までどおりに農業の仕事をさせたいと思いますが、夜になると外へ出て悪いことをするかも知れず弱つています。しかしそれが一番良い方法だと思います。この私の意見については妻も同様で、私は妻を私の意見にしたがわせます。
調査報告書
金沢家庭裁判所
裁判官大内捷司殿
昭和46年6月29日
同庁
家庭裁判所調査官当田修久
昭和46年少第599号少年H・B
上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。
日時昭和46年6月24日陳述者小島甫
少年との関係職業県立ろう学校校長
場所県立ろう学校住居
陳述の要旨<1>H・B君のことについては、その妹もろうあ者であり、私も何度か就学を勧告しにいつてよく知つております。
<2>現時点でもし保護者もしくは、少年が就学を希望した場合のことですが、私の方寮は寄宿舎ですので生活全般についての指導は何一つできません。H・B君の場合、全くの野生児と同じですから寮には入所させられないと思います。そこに一つの困難さがあります。
もう一つは、その問題が解決したとしてもH・B君をどの学年に入れるかです。小学1年が相当ですが、年齢や身体の大きさでそれは困難です。中学1年位が良いかとも思いますが、何しろ何一つ教育を受けていないのですから、他の生徒は相手にしないと思います。本人が向学心に燃えておれば別ですが、その場合怠学、また何か悪いことをやるかも知れません。
同校としては、伸一君を受け入れる余裕はありません。以上
調査報告書
金沢家庭裁判所
裁判官大内捷司殿
昭和46年6月29日
同庁
家庭裁判所調査官当田修久
昭和46年少第599号少年H・B
上記少年に関し、下記のとおり調査したから報告します。
日時昭和46年6月24日陳述者長谷川隆夫
少年との関係職業石川県中央児相判定課長
場所中央児相において住居
陳述の要旨<1>H・B君のことについこは、七尾児相やその他からいろいろ聞いて知つております。私達金沢児相としてもこのケースは何よりも福祉的措置が必要だと考え、もしここであつかうとしたらどんな方法があるかいろいろ検討し、各機関へ連絡をとつてみました。
<2>まず第1の方法ですが、県立ろう学校へ入学させ、その寮か養護施設で生活させるということですが、ろう学校では学齢のすぎた者を学級編成の点で困難であるとのこと、他の児童との関係上教育できないとの理由でことわられました。
<3>次は、児童福祉施設であるろう児施設へ少年を入所させることですが、石川県にはないのですが、他県にはいくつかそんな施設があります。そこでそれらの施設全てについて連絡をとつてみましたが、いづれも他県生であること、学齢をすぎていることを理由に入所をことわられました。これらの施設はそのほとんどがろう学校の寮のような役割をとつているものでそのために断わられたのだと思います。
<4>次に国立教護院へ電話で聞いてみたのですが、今まで10年位前にろう児を1人あつかつたのみで現在は全くあつかつていないとのことでした。
<5>厚生省にも問合せたのですが、特に良い返事はもらえませんでした。
<6>そこで児相としても全くとるべき措置がなくなり弱つております。あとは県の教護院へ入所させるか、自宅保護という方法しか残つておりません。
<7>少年には福祉的措置が必要であることは、よくわかつているのですが、今のところ方法がなく困つております。以上
意見書
金沢家庭裁判所
裁判官大内捷司殿昭和46年7月12日
昭和46年少第599601603666667号同庁調査官当田修久
本籍輪島市○○町○○○部○○
現住所同上少年H・B
昭和30年8月19日生
職業無職
再度の意見少年について調査の結果、身柄付試験観察に付すのが相当であり、身柄を、金沢中央児童相談所長に委託するのが相当である。
理由
※調査票提出後の経過について
S46・6・30審判予定日
保護者不出頭であり開始しないことに決定し継続して調査することになる。中央児相長谷川隆夫と少年の処遇について話合いすると共に、ろう学校教師藤井重俊と少年面接する。藤井は少年の行動、態度からみて教育すれば、かなりしつかりした人間になるであろうこと、少年の知能からみて教育できると思われると述べる。当職としては少年を県立ろう学校へなんとか入学させられないかと考え関係機関の話合の場を作ることにする。
同日、金大教育学部講師(異常児心理)富安芳和に面接、県教委、ろう学校への働きかけを依頼すると共に、他に少年のための適切な施設がないか調査を依頼する。
S46・7・1石川県教育委員会教育長、県立ろう学校長、金沢中央児相所長の三機関に参考人呼出をする。
S46・7・7県教育委員会指導課長、安宅彰亮、同指導主事岩田広美、県立ろう学校教頭喜多宏、児相所長菊知順二郎、同課長長谷川隆夫と面接話合いをする。当庁としては担当裁判官、調査官、塩谷主任調査官が出席(ろう学校長10日間余り出張とのこと)話合いとしては、少年をろう学校へ入学させることが、何よりも必要であり、ろう児としての教育が大切であるとの点で一致したが、その方法について種々の議論があつた。結局少年は学齢がすぎているので、ろう学校としては、同校職員の納得なしに、入学させることはできない。そのための説明会を同校でひらきたい。その上で職員会議をひらいてろう学校側としての態度を決定する。県教委としては、ろう学校が納得すれば、入学許可を与えるようにする。児相としては妹も同様問題があるので、その点も考えて福祉的措置を考えるとの結論になる。そして費用その他についても同所で考えるとのことであつた。具体的には、少年をろう学校に入学させ、同校の寮で生活させ、7月21日後の夏休みに入つてから児相の福祉的措置により生活の場を考える。妹にも同様手続をとるが親の過去の態度から見て、反対されるであろうから、児相としては、親権そう失の申立、後見人選任の申立を家裁にして、その上で少年を一時保護をしたい。夏休み終了後、2人をろう学校にもどして同校で寮生活、教育をするとのことであり、当庁としては、少年に多少の不安が残るので、試験観察決定の上、ろう学校長に身柄補導委託するとの方法がでてきたことになる。
同日喜多宏、岩田主事と少年面接
S46・7・8県立ろう学校教務委員会に出席(担当裁判官、主任調査官、菊知児相所長出席)少年の行動、問題点、今後の方針について説明する。質疑応答があり協力を依頼する。寮関係の職員から消極的な意見が出ていた。方法として養護施設に少年を入れたり、また身体障害者施設に入れたりして同校教師が、出張教育にいく方法が提示される。明日職員会議をひらいてその結果を報告するとのこと。
S46・7・9<1>中央児相から、少年、その妹の親権そう失、後見人選任の申立がだされる。
<2>中央児相長谷川隆夫に面接、養護施設については児相としては、年齢などからみて否定的だと言う。具体的には社会福祉施設梅光会が考えられるが、現段階では児相としては措置できないとのこと。
<3>県身体障害者更生指導所へ訪問、所長法邑義雄に面接、同所としてはろう児がいて、職業指導などをしているが、機関の性質上肢体に何らの障害がないとあずかれないとのこと。少年の場合「ろう」だけの障害であるのであずけられないとのことになる。
以上三点について、職員会議前に県ろう学校教頭に連絡する。
同日午後4時30分喜多教頭より電話連絡
職員会議の結果、妹については、学齢内であるので、同校で寮生活をさせ教育するが、少年の場合学齢をすぎているので困難であるとのこと。特に寮関係の職員から強い反対があり、同校の寮職員の人数、年齢、性などから、その反対を認めざるを得ないことになつた。結論としては、寮へは少年を入所できないが、通学生としてなら、同校では引き受けたい。少年を同校の特殊学級へ入れて、そこで教育するということになつたとのこと。附け加えて東京にろう児の補導職業センターがあるので、そこでの措置を考えてはどうか、との意見も出されたとのこと。県教委より同主旨の電話あり。
同日午後5時金大教育学部富安芳和、同ろう心理
田口助教授に面接田口は東京のセンターに前つとめていたこともあり、その機関についての概要を聞く。
(東京都新宿区戸山町1国立聴力言語障害センター)
S46・7・10国立聴力言語センター指導課貞広係長に電話連絡する。
同センターとしては、未就学者もとりあつかつており、15歳以上なら入所させることができる。そして職業前教育、生活指導、言話教育などをしており、ケースによつて期間は1年半または2年であり特に定まつていない。少年のようなケースだと同所で教育するのが、適切であると思われる。
しかし、センターでとりあつかうためには、住所地の福祉事務所から申請が出され、センターで審査して決定されることになり、次の入所日は10月1日であるとのこと。申込者がかなり多いので早目に手続をして欲しい、また費用の点についても福祉事務所と相談の上配慮してもらいたいとのことであつた。
S46・7・10児相長谷川隆夫に面接、ろう学校の意見をつたえ、聴力言語障害センターの概要について説明する。少年を養護施設に入所させるよう依頼する。
S46・7・12児相所長菊知順二郎、同長谷川隆夫に面接
少年を養護施設に入所させ、同所からろう学校に入学させ通学させる。夏休み中は、できたら妹と共に養護施設で生活させ、2学期になつたら妹をろう学校の寮に入れ、少年を通学生としてろう学校へスクールバスで通学させる。
平行して、福祉事務所から国立聴力言語障害センターへの入所手続をとり10月に許可されれば、同センターへ入所させるとの方法で意見一致する。
養護施設としては、社会福祉施設「梅光会」が適切であるが、ろう児がはじめてなので同施設の人と話合いで決めたいとのことであつた。
S46・7・12梅光会へ長谷川隆夫と共にいき、副園長斉藤忠夫、同施設保母と話合いする。梅光会では、とにかく少年ととり組んでみようとの返事が得られ、入所させることを承諾した。
S46・7・12県教委、ろう学校へ連絡する。
※意見
<1>少年にとつて教育を与えることが何よりも必要であるとのことについては、前調査票でも述べたが種々の機関がその引きとりに消極的であつたため、前調査票提出の時点では、少年院送致の意見を提出したものである。
<2>前回審判が保護者不出頭で開始できなかつたため(と言うより保護者の過去の行動からみて、出頭しないであろうとのことが予想され、次回審判の際に強制的に出頭させるための前段階であつた)に、その後種々の機関との調整ができ、前記のような方法、すなわち、少年を福祉施設梅光会に入所させ、同所から県立ろう学校に通学させる。夏休みに入つてからは同所で生活指導をしながら生活させ、2学期より再びろう学校に通学させる。それに平行して少年に国立聴力言語障害センターへ入所させる手続をとる。順調にいけば10月1日より同センターに入所させられることになる。また家裁に申立された親権喪失宣告、後見人選任事件の審理によつて、妹も梅光会に入所させるとの方法がでてきたものである。
<3>少年にとつて最も適切な方法だと思われるが、少年の今後の生活態度、措置に関する費用などにより、相当期間観察する要があるものと思われ表記決定が相当である。なお委託者としては、他の施設へ入所させたりすることができる児童相談所長が適切であると思われる。-以上-
意見書
金沢家庭裁判所
裁判官大内捷司殿昭和46年8月11日
昭和46年少第732号同庁調査官当田修久
本籍輪島市○○町○○○部○○
現住所同上少年H・B
昭和30年8月19日生
意見本件を599号に併合して、少年を医療少年院へ送致することが相当である。
理由732号事実別紙のとおり(1)
732号事件受理後の経過について
S46・7・20少年面接
持つていたラーメンなどの紙袋については買つてきたものである。また金銭については、盗んできたものではなく、夜間、雨の降つているとき、道路工事中の場所で落ちていたもので、中には半分やぶれたものもあつたと言う。また今後自動車には乗らない、捕まるからいやだと言う。
ろう学校からにげたのは、勉強がいやなこと、仲間が小さい子ばかりであつたこと、給食がパンできらいであつたことなどからで、そこの女の人(竹田先生のことか)はきらいであつた((米のゴハンを食べるところの女の人(多分籠田先生)は好きだと言う))
運動場から外にでて、近くで自転車をぬすみ、それで道路を走り、途中で当職が少年をさがしまわつているのを見つけ、かくれていたという。
S46・7・20少年を解放的場に置いておくと、逃走のおそれがあり、少年の場合、特に無免許運転に結びつき、場合によつては、人身事故発生のおそれがある。そのため閉鎖的場に置き、身柄を確保しながら教育するという良い方法がないかと考え、精神科医島田昭三郎(常盤園々長)に面接する。
「少年の場合、先天性のろう児であり、未就学でもあり、そのために性格的にかなりの問題がでてきている。その上社会に対して何らかの害を与えてもいる。それで精神衛生法の措置入院の手続がとれるかもしれない。その場合、常盤園でひきうけても良いが、病院としては、何の治療もできないのが現状である。また年少のものが入院すると他の患者からいろいろ悪いことを教えられたりするおそれもある。1週間の時間表を作成して、それぞれ担当者(調査官、大学教師、ろう学校教師など)を決めて、1年位のカリキュラムを組んで、少年を教育する。身柄は病院でひき受けるとの方法ならなんとか可能である」とのことであつた。
S46・7・22少年と直接に関係のあつた人達に集まつてもらい協議会をひらく(梅光会斉藤忠夫、籠田相子、ろう学校藤井重俊、竹田博子)
梅光会での生活状況、学校での態度について話が出され、何故に、にげ出したのかよくわからないとのことであつた。12時40分頃に逃げ出すまで、全くそんな素振りがみえなかつたし、なんとか適応しようとの努力がみえたとのことであつた。
少年については、教育可能性があると全員が述べ、その方法としては、何度逃げ出してもつれてきて梅光会で生活させるといつたことが必要で、起居を共にしながら生活習慣を身につけさせていくといつた根気強い教育が必要である。精神病院へ入院させて、チームを組んで教育する方法は、それが可能だとしても、少年のためにならないし、特に少年の場合には、何の意味をも持たないのではないか。逃げることを認めてもらえるなら梅光会でひき受けても良いとのことであつた。その後、全員で少年と面接、少年は竹田先生を指さしていやだという、そして勉強もきらいだという、籠田先生については、喜こんで握手していた。
S46・7・22少年の妹が父母にいじめられて家出(19日頃)22日に穴水署で保護し、七尾児相で一時保護される。(別紙(2)の通知事由)
S46・7・26家事係調査官と○○町の少年の家まででかけていく。前に○○派出所へ連絡して、家では、父がいて話にならないだろうから、同所で面接したい旨伝えてあつたが、妹が一時保護されたことで、立腹し、出頭に応じないとのことであつた。そこで、少年の家までいつたところ、父は部屋の中に入つて出てこない、母は台所をいつたりきたりしていて、全く面接にならなかつたものである。
父は部屋の中から大声で、「きさまらには話しするつもりはない」「かえつてくれ」「H・Bはもうオレの子でない」「H・M子を勝手につれていつて穴水署の奴をなぐりつけてやる」「穴水署と児相のやつらをつれてくるなら話合しても良い」「この間審判にいつたのは、あれはじようずをいつただけだ」とどなりつけ、母が何かいうと「お前黙つておれ」と叱りつけて母に一言も発言させない。母にH・Bのかいた絵を見せて近況を話しすると、何かいいたそうであつたが、父を恐れて当職のそばへもよつてこない。目顔で外へ出るように知らせてもおどおどして父のいる部屋ばかり見ていて「とにかく2人とも帰してくれば、それでいいのや」とつぶやく。
当職は一方的に少年の近況と今後について話しをして帰つた。
S46・7・30児相より連絡があり、妹H・M子を七尾より金沢につれてきたと言う。そこで、少年が逃げ出したりするのは、家へ特に母、妹に会いたいためではないかとの仮説があり、少年と妹とを共に梅光会へあずけ入れれば、うまくいくかも知れないとの気持から、少年、妹とを児相で会わせてみた。
少年のいる部屋に妹を入れたところ、妹は少年をみるや否やすぐ外に出ようとする。少年は、手をふりあげ足を踏みならし攻撃的な態度をみせる。2人で奇声を発し、手振り足振りでケンカをしている。そのうちに妹が泣き出してしまつた。少年は黒板に、少年と妹とを書きそれぞれに、父と母をかきその間に線を引いて自分の父母と、妹の父母はちがうと主張、自分の父母は上を指さして天にいると言う(多分祖父母のことか)、妹の父母は自分をたたいたり、足げりにしたりするので、そのため自分は妹をいじめるという。15分位で面接を打ち切つたが、少年と妹とは、非常に仲が悪く2人共に養護することはできないと思われる。
S46・7・30母より電話がある。
「先日は会えなくてすいませんでした。私は、私なりに先生方が、子供のためを思つてやつて下さつているのがよくわかり、本当に感謝している。しかし父はあんな人で、自分としては気狂いだと思つている。私としてはどうして良いかわからん気持である。2人共元気でやつている由安心しているが、また金沢までいつて面会したいが、父の目も盗めず、金もないのでいけない、どうかよろしく願います。H・BとH・M子とは平常からも仲が悪く犬猿の仲であるから2人一緒にするのはよくないと思う」とのことであつた。
S46・8・7少年面接
鑑別所にいつまで入つて居らなければならないのか、梅光会の籠田先生から本(少年マガジン)をもらつた。米のゴハンの女の人は好きだ。しかし勉強の女の人と妹をきらいだ、自動車に乗らないし、人のものを盗まないから早く出してくれと言う。
先日○○の少年の家へいつた時に写してきた、少年の家、土蔵の写真を見せる。少年は一枚一枚を穴のあくほど見つめて、何かを伝えようとする。そして母に会いたいと言う。母よりきた手紙を見せると(別紙(3))母から自分にきた手紙だとわかり何度もひつくりかえして見ていた。
S46・8・9児相から紹介されて、わだちの苑所長小林良守に面接、職親活動として、大阪市にわだちの苑というセンターがあり、それと夜間保育所を金沢で開いている。それらの活動は、「たき火の集い」「たきびの街」といつたキリスト教の一つのグループでやつている。少年を金沢のたき火のホームであずかり、そこで生活させながらホームの何人かの保母に生活指導をしてもらい矯正させてみたいと述べる。しかし、絶対に逃がさないとは約束できないし、1日中つきつきりというわけにもいかないとのことであつた。
S46・8・9鑑別所としては、少年を収容するとした場合、医療少年院が最も適切であるとの意見であつたが、他の中等少年院へ入れて、職員の2、3人が少年を個別的に処遇、教育する方法がないものか、そういうことが実際に可能であるかを、金沢鑑別所々長と相談する。
各少年院が、収容人数が減つているので、また少年の立場に立つて考えてみた場合に、中等少年院で保護するとの方法は良好と考えられるが、少年院の人的、物的問題で不可能である。個別処遇、少年に対する教育という点から考えると、医療少年院が最も適切であるとのことであつた。
S46・8・9少年の母H・N子あてにした審判呼出状の返事として、父から、離婚していないから出頭不能との連絡あり。
(附記)
父、H・Iは、昨年業務上過失傷害事件を犯し、S45・6・16金沢地裁輪島支部において禁錮1年の判決を言いわたされ、同月26日控訴、名古屋高裁金沢支部に同年7月4日受理され、昭和46年8月3日同所で控訴棄却の判決があつたものである。
〔理由〕
<1>本少年について当庁としては、何よりも教育が必要だとして、生活の場を養護施設梅光会に定め同所で基本的な生活習慣、躾けを身につけさせながら、県立ろう学校に入学せしめ、同校でろう児としての教育をしていくとの方針で、試験観察決定をなしたものである。
<2>ところが、少年は審判のあつたその日に、夜中にぬけ出して車に乗つたところを保護されたり、2日目に今度はろう学校からぬけ出し、再び車を盗み乗りまわしたりしたもので、わずか決定の日を入れて3日の間に2回も逃走してそれぞれ車を盗み、どこからか金銭を入手しているものである。
<3>本少年のような場合、何回かの逃走をくりかえしながら教育していくことが、必要なことであり、少しずつ逃走回数が減り、環境に順応していくのを待たなければならないものと思われる。しかし少年は、逃走すればかならず自動車窃盗をなし乗りまわすもので、無免許であり、その上ろう児であるので、人身事故を犯すおそれが常にあり、少年のみならず社会の人達に大きな迷惑をかけ、非常に危険であるものと思われる。
<4>それ故、少年の保護には、逃走できないところに少年を入れ、そこで教育をなしていくより方法がないもので、そのため教育効果が多少悪いものであつても、現時点では首記意見より方法がないものである。
<5>少年院においては、少年が全くの未就学であり、野性児のような性癖をもつていること、更にろうあ児であることなどを考慮に入れて、個別的に人間として一般社会で生活できるようになるまで教育してもらいたい。以上